ホームランバッターになりたい。
2023年年明けからずっと考えていたことがあった。それはドーナッツのこと。
自分では頑張っているつもりなのに、その努力に見合った結果が出ない。
それをドーナッツに例えてみた。
ドーナッツの生地を焼こうとして燃えている火は肝心の生地じゃなくて、ドーナッツの穴に向けられている。だからどれだけ火を燃やそうが、一向にドーナッツは出来上がらないというように。
そんなことを思ったのはいつかの朝、ミスタードーナツを食べていた時だった。
そんなふうだったけど、2月に入って、ついこないだ、ようやくドーナッツが少し焼けた気がした。
とある企画の依頼だった。その依頼に対し、長い時間をかけてずっと準備してきた。かなり労力も費やした。だから、企画を終えたとき、嬉しい言葉をかけられて、とても報われた気がした。
そう、気がした。気がしただけだった。
実は思うほど影響が与えられていなかったことに後から気付いた。
でもこれは流石に仕方ないことだと正当化した。次頑張ればいいと、前を向こうともした。
それでいいはずだったんだけど、つい今日、また気付いてしまった。
『ダメだ、また空振ってる』
そう呟いたのは、これまた別の依頼に対し、原稿を作っていた時のこと。
(すみません、ここから例えがドーナッツから野球の空振りに変わります、ややこしいな!)
言葉の熱量がすごくて、一見すると響きそうな文章だけど、客観的にみたら、こりゃただの痛いやつで引かれるだけだな、と。
そして『ダメだ、また空振ってる』の呟きに至る。
今思えば、前の依頼もそうだし、趣味の写真もそうだし、仕事もそうだし、何もかも全部空振りしている。
必死に必死に結果出そうとすればするほど、力が入って無様に空振りしている。
そして思った。
もしかすると、前の依頼を終えて得られた充実感は、強く強く振り抜いて、本当は空振りしてるのに振り抜いたその疲労感を充実感のように感じていただけなんじゃないか、と。
さあ、どうしたものか。
どうしたら、バットにボールが当たるようになるのか。全く分からない。
ここは毒されたインターネット脳、困ったら検索する。『空振り なぜ』で調べてみる。
すると出てきたのは『ラケットにボールが当たらないのはボールの軸を読めてないから』
卓球の解説サイトだった。
『違う!!そうじゃない!!!』と思ったんだけど、いや、待て、実はこれ言い得て妙では?
つまりこういうことだ。相手のことを考えずに自分が正解だと言わんばかりに思いのまま、半ば自己満足的に、バットを振ってる。
すると、自分はこれだ!!と渾身の一振りをしているつもりが相手は、いや〜そうじゃなくて…と全然響かなくて、そうして努力と結果の乖離が生まれてくるわけだ。
見当違いの検索結果から、空振りしないためには、相手が望んでいることをしっかり見極めて、その望みに対し、どんなアプローチをしてジャストミートさせるのかが大事なのか、と気付きを得たのだ。
でも、まだ腑に落ちてない自分がいた。
相手の望み通りにしか動けないのはダサくないか?そこに自分の意思はないのか?という考えが覗き込んできたからだ。
これだ。空振りする理由。
相手の望みを常に超えたい。
その予想の斜め上を行きたい。
相手の望みを捉えて放つ安打より豪快なホームランが打ちたい。
いつだってホームランを狙ってた。
こんな変な人生だから、ホームランを打たなければ意味がない、そんな強迫観念に駆られていた。
だから写真だって、平凡を嫌って、誰もいない場所誰も撮らない場所を目指した。
前の依頼もそうだ、そんなところ気にしてどうする?と思うようなところにも拘った。
ホームランバッターになりたかった。
ヒーローになりたかった。
でも待て、冷静になってホームランバッターをみてみろ。
どんなボールでも我武者羅にバットを振っているか?
いや違う、見極めている。自分の苦手なコースはうまく交わしてファールにしたり、時には見逃したりして。そして自分が得意なコースが来れば、いざ来たと言わんばかりにバットを振り抜く。ボールは宙高く飛んでいき、観客席へと。
何でも100%が正義じゃないんだ。
ちゃんと見極めて、抜く時は抜く、かわすときはかわす。
写真だって、いつもいつもホームラン狙いに行くのじゃなくて、無理だと思えば、撮りに行かないことを選ぶべきなんだ。家でも、ホームランを打つためにできることはある。
話は変わるが、今日、実は読んでいる本で面白いなと思う一文かあった。黒澤いづみさんの『私の中にいる』という小説。
その一文を要約すると
『人はよく変わりたいと言う。前向きな言葉でやる気があって良いなあと思うけど、そこには強い自己否定感情がある気がする。まず変わりたいと思うのなら、今の自分がどんなふうか知らなければ変われない。だから自分のことを知ることは大切だと思う』との一文だった。
これは過去の強いトラウマから引き起こした解離性同一性障害に悩む少女に対し、支援施設の寮の方からかけられた台詞で、この後、少女は自分の過去と向き合おうとするけど、それはとてもとても辛くて思い出したくない酷い過去ばかりで、嘔吐したり幻聴したりで、変わるのは楽なことではないと話は続いていく。
そうか、人はこんなに辛くてしんどい過程を経らないと変わることができないんだ、と思った。
話を戻す。
ホームランバッターになりたい変わりたいなら、まずは今の自分と向き合えということ。
それが今日できた気がする、まだこれは一歩目でしかないんだろうけど。
向き合うたって、どこまで掘り下げたら良いんだろう、深く深く掘り続けて、たぶんもうこれ以上掘るのは無理だって層に行き当たるだろう。
その時、僕はどう思うのか、ホームランバッターになることを諦めるのか。
それは分からない。
そもそもそこまで掘らないで、今日の気づきだけでホームランを打てるようになるかもしれない。
未来のことは分からない。
とりあえず今はホームランバッターになりたい。
だから、向き合う。自分と自分の過去と。
それだけは絶対に妥協しない。
これが僕の生き方だ。
遺す
死にたい夜には何か書きたくなってしまうのはなぜなのでしょうか。
書を遺したいとか、そんな意味があるのでしょうか。
何はともあれ、まだ眠れそうにないので勢いのまま。
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写真を撮ることを、やめた。
最後に撮りに行ったのは11月の終わりの頃。
あれから3ヶ月が経とうとしている。
3ヶ月のうちに様々な心境の変化を経て、写真を撮りたいと思うようになった。
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11月下旬、よく冷えた夜だった。
家から下道で2時間くらいの山に行って、車中泊をしてから明け方に雲海を撮ろうと思ってたけど、その日はあえなく撃沈した。
そのまま帰るのももったいなくて近くの山に寄って紅葉を撮ったけど、朝方にも関わらず思ったより人が多くて、大した写真が撮れなかった。それにSDカードが謎のエラーを起こして32GBのはずなのに20枚くらいしか撮れずで、その日は結局沈んだ気持ちのまま帰路についた。
それからは人の写真をたまに撮ることはあっても、前のように風景写真を撮ることがなくなった。
それは、ただ冬だからかもしれない。
冬に映える風景写真は雪降る風景でそれを撮りたいけど、冬タイヤを装着していないから諦めざるを得ない。ただ、それだけのことかもしれない。
でも、写真に向き合う前までの姿勢と今とでは明らかな乖離を認めざるを得ないのが正直なところ。
撮る目的が分からないのだ。
誰にも認められない求められない写真を撮り続ける目的が分からない。
たしかに、写真を撮ることは楽しいことだった。
でもその楽しさは他に取って代わることができて、写真でないといけない理由はない。
現に、この間に色々あって自分にとっての幸福は他に取って代わられた。
今まで僕と写真撮影を繋ぎ止めるものが、あまりにも儚くて脆いものだったんだ。
自分の撮る写真が、世間的に認められるものであれば、求められるものであれば何か変わったのかもしれない。
でもそんなタラレバは無意味なものだと思う。
自分は誰かに受け入れられたことがなかった。
精神を解放せずに閉ざしたままだから当たり前のこと。
そんな人間が大衆の理解を得られる作品なんて産むことができるはずがない。それができるのは余程の天才だけだ。
だから自分の作品は自分にしか良さが分からなかった。
ときどき、作品を褒めてもらえることがある。
だけど申し訳ないことに、他人が自分を褒める言葉はまったく信じることができない。
本心で言ってくれているのかもしれないけど、自分の作品が世間の立ち位置ではかなり下位の方にいるのを知っているので、そんな世間に生きる人から褒められても、どうしても受け止めることができない。
僕にとって認められるという基準はコンテスト入賞とかSNSでの"いいね"が大量につくだとかフィーチャーアカウントから多くのフィーチャーを受けるだとか、そんなことでしかない。
悲しいものの見方だと思われるかもしれないけど、言葉は飾ることができてしまう。飾りの度を越して、嘘をつくことができてしまう。でも数字は嘘をつかない。数字は無慈悲に客観的事実を突きつける。
そんな数字に認められたかった。
でもダメだった。構図は学んだ、高いパソコンを買ってレタッチを極めた、いろんな撮影地に行って最高の絶景を求めた。
それでもダメだった。
そうしているうちにも、いろんな人がフィーチャーされていく。構図は大したものでもない、機材には金をかけていない(と思われる)、早朝や深夜でなく日中に片手間に撮ったような写真だった。
そんな写真たちをみて、完全に折れてしまった。
もう撮りにいけない。
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そうして日々を重ね、新たな趣味に没頭していった頃だった。
カーオーディオで流れた曲。
それは星や朝焼けを撮りに行く時によく聴いた曲だった。
その曲自体本当に好きな曲だということもあるけど、その時ばかりは写真を撮りに行く道中の高揚感などを思い出したことによって、涙が流れた。
不意打ちだった。
撮りに行きたい。
一人で夜明け前の誰もいない高速道路をかっ飛ばして、高揚したい。
静かな朝がもたらす絶景に、叫びたい気持ちを堪えて無心でシャッターを切りたい。
ダメな写真が多いけどこの写真はいいかもしれない、とか、全然ダメだった〜、とか、完全に大勝利した、だとかで一喜一憂したい。
あの瞬間たちこそが自分の人生の一部だった。
撮りたい、撮ってみたい。
でも、腰が上がらない。恐怖すら感じる。
だって、そんな希望を手にしたところで、肝心の目的が分からないから。
撮る楽しみを感じることを目的とすればいいだけの話だけど、そんな甘いものでは腰をあげるエネルギーにならない。
何かもっと希望のある計画がないと動けない。
そこにまた新たな光が差し込んでビジョンが見えた時、きっと一歩を踏み出すことが出来るはず。
まだ長いトンネルの途中だけど、僕はまだ信じている。大衆に受け入れられない自分にしか出来ないことがあること。
生きていたいとか死にたいとかくだらないことばっか考えてしまう幼稚な頭なりに、試行錯誤して考える日々を繰り返す。何かが産まれそうな気がするのは気のせいか。
Hakubiが好きな理由。
Hakubi…京都発スリーピースロックバンド。
過去に5枚のe.p.をリリースしていて、最近では"結e.p."をリリース。収録曲の"22"のMVではボーカル片桐さんが初顔出しをするなど大きな話題になった。
Hakubiはどちらかというとネガティブな印象を与えることが多い。
先日KANSAI LOVERSというフェスで、Hakubiのグッズを買おうと列に並んでいたら、後ろから『Hakubiを普段から聴くと病んでしまうから、逆に病んだ時に聴くな〜。私傷に塩を塗りたいタイプだから、病んだ時にHakubi聴いて余計に病みたい。笑』と話す声が聞こえてきた。
わかる。わかるぞ。傷に塩を塗りたい気持ち。
多分それはきっと、心の中の蟠りや悲しみ苦しみ寂しさなどのネガティブな気持ちを代理して声や音にしてもらっていることに安心するからだと思う。"人に悩みを打ち明けて共感してもらえればホッとすること"と同じ仕組みなんだと思う。
自分も昔からよく塩を塗ってきた。
高校の頃、精神が不安定な時にはSyrup16gを聴いた、THE NOVEMBERSを聴いた、plentyを聴いた。
Syrup16gは生きることに自暴自棄になっているようで、THE NOVEMBERS(初期)は世を操るものを恨んでいるようで、plentyは弱い人間の弱音のようで。代弁してくれているようで、よく聴いた。
一方、Hakubiだって、"だから『死にたい』って呟いてみる"(午前4時、SNS)、"クラクションひとつ鳴らされただけで死にたくなったんだ"(サーチライト)など自殺願望が表現されていたり、自己肯定感の無さや人生においての迷いなどが描写されていたり、ポジティブのポの文字もないほどネガティブに思う。
でもHakubiには従来のバンドとは少し違うところがあると思う。
Hakubiには、作詞作曲をする片桐さんの弱さがただ吐き出されているだけではなくて、その弱さに対する葛藤そしてなんとか対峙していく強い意志が表現されているのだ。
"治らない猫背で歩いていく"(Dark.)、"叫んでも痛むだけで増えていく傷も 消えないこの傷も 変わらない今も いつか私を照らすだろう"(17)、"負けるつもりはないからさ自分らしく生きろよ"(ハジマリ)などなど。
決意に溢れた曲を挙げるとキリがない。
そして僕の推測に過ぎないのだが、このような音楽をつくる作業は自分の精神を擦り減らして曲にしているようなもので、とてつもない心労だと思う。
自分の弱さと真摯に向き合い、その弱さと決意を言葉にし、机に並べ、さらにはそれらを音に組み立てていく。
自分の弱さと向き合うなんて楽しいはずがない。苦しさでしかない。そしてそれら大体がモヤ〜とした霧の状態なのにそれらをわざわざまた言語化する。
考えるだけで目が眩む。放り出したくなる。
最新曲"22"ではこのような歌詞があった。
"こんな苦しいなら選ばなきゃよかったのかな"
これを聴いた瞬間、片桐さんの日々の辛さが手に取るように分かるようで、胸が苦しくなった。それでも最後にはこれからも歌うと決意が示されている。
ぼくは弱い人間だ。
何にも出来ないし何者にもなれない、さらには何をしたいのか何が好きなのか何を求めてるのか何になりたいのかすら分からない。
そんなことに長い間、蓋をして生きてきた。
そしてHakubiに出会った。
自分の弱さに真っ正面から懸命に向き合う音楽を知った。
そして自分も一度、己の弱さと向き合いたいと思った。
結局こうやって生きようとかそんな決意は出せずままだけど、抗うことや向き合うことに意味があるのかな、なんて思う。
もうあと数年経てば30になってしまうけど、生きるためにもがいている大人がたまにはこうやっていてもいいんじゃないかな、なんて思う。
そんなことを思ったきっかけは何者でもない、Hakubiの音楽だ。
自分の生き方を教えてくれた。
これが僕のHakubiが好きな理由。
みんなひとりひとりが芸術家なんだよ
みんな、生きるのが上手いね。
本当に上手。
そんなに上手ければ、きっと生きるのが好きになるだろうな。
その点、自分は本当に下手だと思う。
まず大体、自分が何をしたいのか分かっていないし、何を考えているのか何を感じているのかすらもわからない。だから素直になろうと思っても、それ以前の問題になる。
そして居場所探しに目が眩んで、気がつけば様々なもの---彼女、親友、SNS---を捨てていた。(言い方は悪いが一番言い当てている表現がこれしかない)
そしてどうなったか。何も起きない。
当たり前だよ、人生なんだから。
簡単に何か変わると思うなよ。ばか。あほ。
それからは、日々起きた事や感じた事、その日みた怖い夢の話、夢中になっている事、そんな話は全て自分の中だけで消化され、はっきり言ってとてもつまらない日々を過ごしている。
こうやって自己批判していくとキリがなくなって文字数だけが増えていきそうな気がする。自分のことを一番好きなのが自分だけど、同時に自分のことを一番嫌いなのが自分だから。だからとりあえず批判はここまでにしておく。
いつかこの自分の仕事が嫌になった時があった。なぜこんな思考停止的で作業的なことを生業にしているんだろう。楽しさなんて皆無だし、ましてや芸術性のかけらもない。芸術的で仕事に自分の色が出せられる仕事なら良かったのにな〜と思った。
そこでふと気付いた。(落胆した途端に気付いたそのスピードが今でも信じられない)
仕事だけが自分の色を出せる場ではない、もっと広い範囲で、人生自体で自分の色を出せば良いのでは、と。
人生自体が芸術作品になり得るのだ。
下手な人生も、上手な人生も
選択の連続で成り立っている。
そのひとつひとつの選択が芸術作品なのだ。
つまり思考停止的選択を行い続けるのは駄作の量産ということになる。それはいかがなものか、と思う。自分は、時には失敗作はあるけどもそんな作品を通して素晴らしい作品を産むアーティストになりたい。だから突飛で斬新な選択かつ目的に沿った選択をしていきたいのだ。
もしかしたら、もしかして。
冒頭に書いた、様々なものを捨てた選択。
これは失敗作かもしれない。
でもまだ分からない。諦められないんだ。
芸術は本当に何でもありで、ひとつの作品にどれだけ時間を費やしてもいい。いったん手を止めても、それで終わりにならなくて再び手を加える事ができる。
いつになるか分からないけど傑作になるように努めたい。もちろんこの作品に拘らずに様々な作品を産み続けながら。
好きな事が好きなだけなので
4月14日火曜日、メモに連ねたまま眠っていたのでコピペで起こして、ここに貼り付けます。
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SNSを活用することの目的って一体何なんでしょう
ある人は言っていました
自分を売り込むためや親交を深めるためのツールなのだと
なるほど、と思いました。
私自身Instagramを始めた当初の目的は自分を売り込むとまではいかなくても評価されたいと思ったことや写真を撮る友達が欲しいと思ったことも一部確かにありました。
しかし実際にやってみれば、低レベルな写真にもかなりのいいねの数がついていたりfeatureされていたりして、評価ツールとして適していないのではと感じました。
私の最近の投稿にタグがついていない理由はこれに当たります。(5月15日時点、もう既につけてる!…これにはまた違った深い意味があるのですが、それはまたいつか。)
この時点で大体お察しできるかもしれませんが、私はどれだけ投稿してもいいねの数が増えることもなく、これは良い!と思った投稿も低迷していてfeatureされることはありませんでした。
それは結局自分の実力が全て。
そんなことは百も承知ですが、じゃあ多くのいいねの数を貰うためやfeatureされるために腕を磨こうとは思えませんでした。
そこを目的としたくなかったのです。
ぼくが今ここまで写真を楽しく続けられていることは写真を撮ることが楽しいからで、それは崩したくありませんでした。
評価されることを目的とするとそれが揺らぎそうな気がしたのです。というより揺らぎかけたことがありました。
そんなことでゆるりと楽しんでいたところに舞い込んできたのが新型コロナウイルス感染症。
これがきっかけて私はInstagramの大多数のユーザーと圧倒的な考え方の違いを感じて、居心地の悪さを感じたのです。
みんな口を揃えて言います。自粛、自粛、と。
確かにそれは必要であることです。
しかし散歩の延長線上の様な撮影まで自粛する必要はあるのでしょうか。
車を走らせて、人気の少ない場所や時間で桜や星を撮ることくらい良いのではないでしょうか。
撮影は喋ることがありません、カメラや三脚以外触ることもありません。下手すると近所のスーパーマーケットで買い物をするよりも感染リスクが低いと思われます。
事実、緊急事態宣言を発令し、外出自粛を呼びかけている政府でも散歩程度の外出は容認しています。
不快に感じたのはそれだけではありません。新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴って、投稿や撮影ルールを定めたりされている方もいました。それだけならその方の考えのもとでやられているのでなんとも思わないのですが、それを他の人にも強いていたのです。
はっきり言って寒気がしました。
何様のつもりなのかなと思いました。
ここから先は私の憶測ですが、私の知らないところでもしかすると"自粛ムーブメント"(あぁ…この話もしたい…)のなかで相互監視社会が出来上がってるのではないかと。まだそのような光景は見たことがないのですが…。(5月15日時点、本当に『自粛警察』が現れましたね、あぁ本当にくだらない)
この時、私はSNS機能としてのInstagram利用を辞めることを決意しました。
私の思うSNS機能は冒頭に記載したことです。評価、馴れ合いツール。
今後はInstagramを撮影ログや撮影地の情報収集、写真の上手い人の勉強ツールに利用していきたいと思います。これを機にアカウントを一新するためにアカウントを終了させることに至りました。
全てはこれからも楽しんで撮影するため、そしてさらに腕を上げるため。手段を選ばず、その目的のためのことだけを考えるとこのような結果に至りました。
以上がInstagramのアカウントを終了することに至った経緯と理由です。
正直なところ、友人が非常に少ない自分がこのような馴れ合いコンテンツを捨ててしまえばさらに仕事以外での社会との接点がなくなってしまうのでは、そしたらさらに偏屈になってしまうのでは、と危惧したのですが、まあ何とかなるでしょう(笑)
私は思います。
失ったらその余白で何かが始まる。
その余白が大きければ大きいほど、大きな何かが始まるのです。
たかが、Instagramごときかもしれませんが、これは目的の再確認、今後の様々な方針確立として大きな意味を持っていると考えます。
常に変化を求める自分だからこそ出来た決断にまずは尊重したい、正解不正解の判断はとりあえず棚に上げて。
お願いギターをもう少し弾いて
令和元年5月27日、18時50分ごろ
僕はマッチングアプリで知り合った女の子を迎えにいくために、とある駅まで車を走らせていました。
その女の子とは音楽の話で盛り上がって 趣味が合うから実際に会って話がしたいね〜ということから会うことなったのでした。
そして同時刻、信号待ちのタイミングでふとなんとなく携帯をみて、なんとなくTwitterをみてみると、不穏な投稿をみたのでした。
それが今回 ブログを書くこととなったきっかけになりました。
きのこ帝国、活動休止を発表
きのこ帝国を聴きだしたのは5年くらい前。
聴き出した当時の少し前に好きだった人が聴いてて、気になってYouTubeで聴いてみたところから始まりました。
あまりにも真っ直ぐなシューゲイザーでいて、綺麗な歌声に叙情的な詩に感動を覚えました。
TSUTAYAでフェイクワールドワンダーランドをレンタルして、また当時新たに気になっていた人(この頃は恋が多かった)に会うために走らせていた車中で聴いてました。シューゲイザーという印象が強かったので、意外にも ん〜あんまりだな〜という第一印象。
でも聴けば聴くほどに好きになってて、eurekaをレンタルして、冒頭の"夜鷹"のシューゲイズっぷりに圧倒され いつのまにか虜になってたのでした。
最初にライブに行ったのが…
と語りたいところなのですが、記憶のうちどれが最初か分からない……
本当にライブには十何回くらい行きました。
猫とアレルギーのリリースツアーでは変則日程ということもあったのだけれど、3公演に行きました。
何回行っても飽きなくて 毎度毎度 轟音に感動して 圧倒されて 好き度がどんどん増してくばかり。音楽だけじゃなくて4人のゆったりとした空気感も好きでした。
その後 怒涛?のデジタルリリースがあってから愛のゆくえをリリースして 映画主題歌のタイアップが決まったりして きのこ時代がきたぁー!なんて思ったり…笑
昨年リリースのタイム・ラプスはもうどの曲も最高に良くて リリースツアーを期待しまくってたのですが、結局それはありませんでした。
平成30年9月20日 10周年記念ツアーファイナル
これが僕が見た最後のライブとなりました。
初期のシューゲイザーとは打って変わって
最近ではポップなギターロック路線となってたきのこ帝国だったけど、どちらも好きで、というのもポップと言いながらも ところどころで昔のような轟音が顔を見せてくるところがあったりしていて、結局のところ どんな曲であろうとも、きのこ帝国らしさは失われてなくて、最初から最後まで"きのこ帝国"で駆け抜けていっていたところが大きいと思います。
それを思うと、今回 新たなメンバーを入れるわけでもなく、4人のまま一旦 活動を終えるというのも本当にきのこ帝国らしい判断でものすごく悲しい思いを感じながらもほんの少し安心感を覚えたのでした。
今後長い間 きのこ帝国を生で聴く事はないのだろうけど十何回も生身の全身で感じた音を忘れないで生きていたい、身体の中で音楽は鳴っていると思う。
10年間のうち5年くらいだけどきのこ帝国が好きでいられて、大袈裟かもしれないけど、その間のたくさんの恋や青春のなかで、きのこ帝国を聴くことができて今の自分があるということ(バンド始めたきっかけがきのこ帝国のライブだからあまり大袈裟でもないかも)を誇りに思います。
そして日々あなたの帰りを待って、ただそれだけでいいと思えるような日々を過ごせたら、と思います。
さよなら、ありがとう
おこ
自分の陰キャっぷりに中指立ててます
大の女好きだったり酒を浴びるほど飲んだり
子供の頃なら カードゲームやテレビゲームをしまくったりバラエティ番組や流行りの音楽を語りあったり共有しあったりするような人生
それが自分にはない
この間 祭りを撮りに行った時だって 一応明確な目標があって行ったから撮ってる時は割と無我夢中でいられたけど、時折 ふと我に返って『あ〜おれ きもいな』て何回も思った
だからメガネとか帽子被って地元の友達にバレないようにしてたけど 結局バレて まあ久しぶりに話せて良かったけど きもいところ見られた恥ずかしさはバレないようにばかり考えてた
陽気でないといけない
なんてことはないはずなんだけど自分のいる環境が『陽気でないと上手くやれないぞ』って言われている気がしてる
〜〜
でもこんな風な低調なメンタルにも絶対意味を持たせたいって思ってる部分があって、のちに『そんな時期があったからこそこれがうまれた』って言えるようにしたいと思ってる
散弾銃で自分で自分の人格 人生を撃ち放して否定しっぱなしでいながらも どうやったらそんな風に言えるようにできるかなと具体的プランを考えてるところがここ最近の唯一の希望って感じ
〜〜
今日、中学の頃 実は両想いだったらしい子(最近知った)と偶然 コンビニの駐車場で会った
その子とは石川や神戸のフェス、People In The Boxのライブや自分のバイト先とかいろんなところで偶然会ったりしてて 毎度びっくりさせられてるんだけど 一回話しかけたっきり話しかけてない
今日だって目が合って10秒くらい時が止まったような感覚に陥ったけど自分から目を逸らした
べつに後悔はしてない
だけどやっぱり陰キャだな〜って思った
2018.10.28