落ち込むことは悪いこと?

土曜の晩は落ち込んでしまった。

その日の夕方、積雪の鳥取砂丘で想定外の土砂降りの雨にやられたのもあるかもしれない。(いや、ない)

 

写真のこと。

先日、Instagramにポストした作品への反応があまり良くなくて。

これがおれの自信作だ〜〜!と思ってポストしたんだけど、あれ????って感じに、いまいちな反応。

 

とはいえ、もう僕は知ってる。

ヤツ(Instagram)には謎のアルゴリズムがあって、作品の良し悪し関係なく、いいねがついたりつかなかったりすることを。もう振り回されないぞ。

とは思いながらも、それにしても少ない反応。

これはさすがにInstagramアルゴリズムの問題として看過することはできないぞ、と考えに耽た。

土砂降り喰らった後の鳥取ぽかぽか温泉で。

 

 

【努力しない努力をする】

 

突然ですが、今年の抱負は『努力しない努力をする』なんです。

一見何を言ってるかわからない抱負だけど、去年一年を振り返って無駄な努力があったな、と思い返したところから始まります。

誰も求めてないのに変なところに拘ったり、無理に提供しようとしたり。

また、何かを遂行するために頑張って頑張りすぎてしまったり。

 

それらの努力に対して何らかの報酬があればいい。労りや感謝などでもあればいい。

でもその努力が誰にも見えない場所で行われていれば、何もなくない?

それを全て受け入れたうえで自分でやりたい事だからと思って実行する努力なら良いと思うけど、少しでも見返りを求めようとするならやめた方がいい。

という持論に基づいて、今年の抱負は『努力しない努力をする』になりました。

フラットな視点で、一歩引いて見て、心からやりたいと思ったことや、"正しく"求められた時にだけ提供するだとか、そんな風でいようと思って今年一年を過ごそうと思っているところでした。

 

 

【審美眼の乖離】

 

さて、本題。

今回、落ち込んだ要因は『期待をしたが、期待以上に反応がなかった』ということに尽きると思うのですが、これってもしかして[努力していたつもりだったのでは?]との考えにまず至りました。

前段で書いたように、努力に見合った報酬がなくて落ち込んでしまったのかな、と。

しかしこれを撮ったのはもう1年以上前。確かに過酷な環境ではあったけど、その撮影に要した努力はもう既に忘れてしまっています。

また、データを見返して、最近改めて再現像をしたというのもあるけど、別にそこまで手を焼いて現像したわけでもない。

よって努力が空振りになって落ち込んだ説はなさそう。

 

次に浮かんできたのは[世間一般と自分の審美眼に乖離が生じているのでは?]との考え。

これは実際問題あるかもしれない。

特に、自分の作品だと、愛着が沸いてしまって贔屓目で見てしまうというのはある。イケア効果というらしい。(自分で組み立てた家具には既成品以上に愛着が湧いてしまうことから名付けられた)

そう思うと、確かに先日ポストした作品を思い返すと、あそこが悪かったかも、もっとこうした方が良かったかも、と思えてきて、素直に反省をしました。

ここで一連の悩みは解決したかのように思えたはずなんだけど、まだ温泉に入ったばかりで十分に温まってないから、まだまだ思考に耽ります…。

 

 

【落ち込むことは悪いこと?】

 

そもそも、だ。

[期待をするのが間違いではないのか?]

努力しないのと一緒で、変に期待を込めてしまうのも良くないのでは?

との考えですね。

 

そして、期待→落ち込みまでに至るフェーズとその対策を考えてみました。

①期待しない

②期待はするが、想定を下回った時、その結果を受け入れようとしない。(他責的思考)

③期待はするが、想定を下回った時、その結果を受け入れ、冷静に分析をする。しかし、落ち込まない。(自責的思考+人工的な帰着)

④期待はするが、想定を下回った時、その結果を受け入れ、冷静に分析をする。そして、落ち込む。(自責的思考+自然的な帰着)

 

まず、①の『期待しない。』

これができれば無敵ですよね。何に置いても。

だけど、出来たものが良いものと思えるなら、多少の期待は絶対に付いてくるものではないのかな。

よく小説では、はなから期待なんてしていなくてなんか全部どうでもいい、みたいな登場人物がいるけど、普通に無理じゃない?

認められたいし、評価されたいし、良く思われたいし、人間ってそういう生き物だから、期待しないなんてことはフィクションであって幻想なんだろうなと思います。

ということで、①はボツ。

 

次に②の『 期待はするが、想定を下回った時、その結果を受け入れようとしない。 (他責的思考)』

だめですね。いわば、環境のせいにするってやつ。今回で言うと、Instagramアルゴリズムのせいだとして解決を図ってしまうことですね。

確かにそういう場合もあるけど、全てその思考でしてしまうと、しっかりした分析ができなくて、改善を図られない。故に、成長しない。

なので、②もボツ。

 

次に③の『 期待はするが、想定を下回った時、その結果を受け入れ、冷静に分析をする。しかし、落ち込まない。 (自責的思考+人工的な帰着)』

まず、人工的な帰着って意味わかんないですね。

やっぱり普通にいれば落ち込むと思うので、そこに対して何らかのアプローチで落ち込まないように、人工的に落ち込み曲線に手を加えて上昇に持っていこうとすることを一言で表してみました。

これができれば理想。しかしなかなかそうはいかんのが現状。

自然状態が"落ち込む"なので、そこにはそれなりの人工的な反発力が必要。

それは自分へのご褒美(ご褒美?)とか物理的なアプローチとか?

もう落ち込まない落ち込まないと首を横に振って違うことを考えたり楽しいことを考えたり?

でも実際これまで幾度となくそんな場面に遭遇して、人工的な上昇を図ろうとしたことはたくさんあるけど、30年生きてきて、それで上昇できたことはなかった気がする。

絶対結局は戻るんです。ネガティブ人間を舐められては困るぞ。

なので③も理想ではあるものの現実的でないとして、半ば⚪︎寄りのボツ。

 

最後の④ 『期待はするが、想定を下回った時、その結果を受け入れ、冷静に分析をする。そして、落ち込む。』

まず、これを選択肢に出すことができた自分の発想を褒めたい。

落ち込みたくないから考えてるのに、結局落ち込む、て!

要はもう自然に任せるってことですね。

確かに、落ち込むのはそんなに悪いことではない。何か悪影響があるとすれば、落ち込みが前に出過ぎて、今やるべきことを怠ったり、新たなチャンスを逃したりすること。

そこだけに注意を払えば、あとはもう落ち込んでしまえばいい。どうせ明日には忘れているだろうし。

もしそれでも落ち込みが長いようなら、③のような人工的なアプローチも必要かもしれない。

でも生活しているうえで起きる落ち込みの事象は大体そこまで深刻なものではなくて、時間が洗い流してくれることが多い。

③のようにまた変な努力をするよりかは自然に任せる。それがいい。

 

ということで、ここまでなが〜く考えて、落ち込むときは落ち込むという話で帰着しました。

悪いものには蓋をする、という表現があるけども本当にそれが悪いものかちゃんと見極めないといけないということですね。

 

このようにだらだらと考えてしまったがために、無事にのぼせてしまいました。

倒れるかと思った…。

 

〜おまけに〜

この後、自分の期待は置いといて、他者からの期待に応えられなかったことについて考えてしまうことに。

本当は応えたかったはずなのにあの人の期待に応えられなかったこと、とか、あの人はもう誰かに期待をすることをやめてしまっただろうか。などと。

罪に罪を塗り重ねるとはこういうことだなと思い、まだまだダークサイドは続くのでした。笑