好きな事が好きなだけなので

4月14日火曜日、メモに連ねたまま眠っていたのでコピペで起こして、ここに貼り付けます。

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SNSを活用することの目的って一体何なんでしょう


ある人は言っていました

自分を売り込むためや親交を深めるためのツールなのだと


なるほど、と思いました。

私自身Instagramを始めた当初の目的は自分を売り込むとまではいかなくても評価されたいと思ったことや写真を撮る友達が欲しいと思ったことも一部確かにありました。


しかし実際にやってみれば、低レベルな写真にもかなりのいいねの数がついていたりfeatureされていたりして、評価ツールとして適していないのではと感じました。


私の最近の投稿にタグがついていない理由はこれに当たります。(5月15日時点、もう既につけてる!…これにはまた違った深い意味があるのですが、それはまたいつか。)

この時点で大体お察しできるかもしれませんが、私はどれだけ投稿してもいいねの数が増えることもなく、これは良い!と思った投稿も低迷していてfeatureされることはありませんでした。


それは結局自分の実力が全て。

そんなことは百も承知ですが、じゃあ多くのいいねの数を貰うためやfeatureされるために腕を磨こうとは思えませんでした。

そこを目的としたくなかったのです。


ぼくが今ここまで写真を楽しく続けられていることは写真を撮ることが楽しいからで、それは崩したくありませんでした。

評価されることを目的とするとそれが揺らぎそうな気がしたのです。というより揺らぎかけたことがありました。


そんなことでゆるりと楽しんでいたところに舞い込んできたのが新型コロナウイルス感染症

これがきっかけて私はInstagramの大多数のユーザーと圧倒的な考え方の違いを感じて、居心地の悪さを感じたのです。


みんな口を揃えて言います。自粛、自粛、と。

確かにそれは必要であることです。

しかし散歩の延長線上の様な撮影まで自粛する必要はあるのでしょうか。

車を走らせて、人気の少ない場所や時間で桜や星を撮ることくらい良いのではないでしょうか。

撮影は喋ることがありません、カメラや三脚以外触ることもありません。下手すると近所のスーパーマーケットで買い物をするよりも感染リスクが低いと思われます。

事実、緊急事態宣言を発令し、外出自粛を呼びかけている政府でも散歩程度の外出は容認しています。


不快に感じたのはそれだけではありません。新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴って、投稿や撮影ルールを定めたりされている方もいました。それだけならその方の考えのもとでやられているのでなんとも思わないのですが、それを他の人にも強いていたのです。

 


はっきり言って寒気がしました。

何様のつもりなのかなと思いました。

 


ここから先は私の憶測ですが、私の知らないところでもしかすると"自粛ムーブメント"(あぁ…この話もしたい…)のなかで相互監視社会が出来上がってるのではないかと。まだそのような光景は見たことがないのですが…。(5月15日時点、本当に『自粛警察』が現れましたね、あぁ本当にくだらない)


この時、私はSNS機能としてのInstagram利用を辞めることを決意しました。


私の思うSNS機能は冒頭に記載したことです。評価、馴れ合いツール。


今後はInstagramを撮影ログや撮影地の情報収集、写真の上手い人の勉強ツールに利用していきたいと思います。これを機にアカウントを一新するためにアカウントを終了させることに至りました。


全てはこれからも楽しんで撮影するため、そしてさらに腕を上げるため。手段を選ばず、その目的のためのことだけを考えるとこのような結果に至りました。


以上がInstagramのアカウントを終了することに至った経緯と理由です。

正直なところ、友人が非常に少ない自分がこのような馴れ合いコンテンツを捨ててしまえばさらに仕事以外での社会との接点がなくなってしまうのでは、そしたらさらに偏屈になってしまうのでは、と危惧したのですが、まあ何とかなるでしょう(笑)


私は思います。

失ったらその余白で何かが始まる。

その余白が大きければ大きいほど、大きな何かが始まるのです。

 


たかが、Instagramごときかもしれませんが、これは目的の再確認、今後の様々な方針確立として大きな意味を持っていると考えます。


常に変化を求める自分だからこそ出来た決断にまずは尊重したい、正解不正解の判断はとりあえず棚に上げて。