みんなひとりひとりが芸術家なんだよ
みんな、生きるのが上手いね。
本当に上手。
そんなに上手ければ、きっと生きるのが好きになるだろうな。
その点、自分は本当に下手だと思う。
まず大体、自分が何をしたいのか分かっていないし、何を考えているのか何を感じているのかすらもわからない。だから素直になろうと思っても、それ以前の問題になる。
そして居場所探しに目が眩んで、気がつけば様々なもの---彼女、親友、SNS---を捨てていた。(言い方は悪いが一番言い当てている表現がこれしかない)
そしてどうなったか。何も起きない。
当たり前だよ、人生なんだから。
簡単に何か変わると思うなよ。ばか。あほ。
それからは、日々起きた事や感じた事、その日みた怖い夢の話、夢中になっている事、そんな話は全て自分の中だけで消化され、はっきり言ってとてもつまらない日々を過ごしている。
こうやって自己批判していくとキリがなくなって文字数だけが増えていきそうな気がする。自分のことを一番好きなのが自分だけど、同時に自分のことを一番嫌いなのが自分だから。だからとりあえず批判はここまでにしておく。
いつかこの自分の仕事が嫌になった時があった。なぜこんな思考停止的で作業的なことを生業にしているんだろう。楽しさなんて皆無だし、ましてや芸術性のかけらもない。芸術的で仕事に自分の色が出せられる仕事なら良かったのにな〜と思った。
そこでふと気付いた。(落胆した途端に気付いたそのスピードが今でも信じられない)
仕事だけが自分の色を出せる場ではない、もっと広い範囲で、人生自体で自分の色を出せば良いのでは、と。
人生自体が芸術作品になり得るのだ。
下手な人生も、上手な人生も
選択の連続で成り立っている。
そのひとつひとつの選択が芸術作品なのだ。
つまり思考停止的選択を行い続けるのは駄作の量産ということになる。それはいかがなものか、と思う。自分は、時には失敗作はあるけどもそんな作品を通して素晴らしい作品を産むアーティストになりたい。だから突飛で斬新な選択かつ目的に沿った選択をしていきたいのだ。
もしかしたら、もしかして。
冒頭に書いた、様々なものを捨てた選択。
これは失敗作かもしれない。
でもまだ分からない。諦められないんだ。
芸術は本当に何でもありで、ひとつの作品にどれだけ時間を費やしてもいい。いったん手を止めても、それで終わりにならなくて再び手を加える事ができる。
いつになるか分からないけど傑作になるように努めたい。もちろんこの作品に拘らずに様々な作品を産み続けながら。